心の哲学と科学

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    心の哲学と科学

    心の哲学と科学
    人間は科学研究を追行する主体であると同時に、自然科学の言葉で記述される対象のひとつでもある。
    心の状態は物理的な体の状態と無関係ではなく、それゆえ人間を物理的に記述していく自然科学の営みは、心の哲学においても重要な役割を担う。
    心と関連した物理的な過程について研究している科学の分野には次のようなものがある。
    生物学、コンピューターサイエンス、認知科学、サイバネティクス、言語学、医学、薬理学、心理学。
     
    神経生物学
    生物学の理論的基礎は、現代の自然科学の多くがそうであるように、根本的に物理主義的である。
    研究対象は、まず第一に、物理的過程であり、これが心的活動や行動の基礎であると考えられている。
    心的現象を説明することについて生物学があげる成果は増え続けているが、このことは生物学がその基礎に据えた「脳状態の変化なくして心的状態の変化はない」という仮定を否定する経験的反駁がまったくないためであると見なされている。
    神経生物学の分野には、数多くの下位分野があり、それらは心的状態と物理的状態や物理的過程との関係と関連がある。
    感覚の神経生理学は、知覚過程と刺激過程の間の関係を研究する。
    認知神経科学は、心的過程と神経過程の相関関係を研究する。
    神経心理学は、心的能力がそれぞれ、脳の特定の解剖学的領域に依存していることを示す。
    最後に進化生物学は、人間の神経システムの起源と発展を研究し、心的現象の発展を最も原初的な段階からはじめて、個体発生と系統発生の観点から描き出す。
    神経科学の方法論的な突破口(ブレイク・スルー)、とりわけハイテクである脳機能イメージング技術の導入のおかげで、科学者たちは増加する野心的な研究プログラムを洗練させることに取り組みだした。
    主要な目的(ゴール)のひとつは、心的機能に対応する神経過程を描写し把握することである。
    デュ・ボア・レーモンやジョン・カリュー・エックルスのようなごく一部の神経生物学者たちは、心的現象が脳過程に「還元」される可能性を否定しているが、その理由は部分的には宗教的なものである。
    しかし、現在の神経生物学者であり哲学者であるゲルハルト・ロートは、一種の「非還元主義的唯物論」を擁護している。


    コンピューターサイエンス

    コンピューターサイエンス
    コンピューターサイエンスは、コンピュータのような手段を使った、自動的な情報処理に関心を持っている。
    少なくとも情報が代入された記号を処理する物理的システムに、関心を持っている。
    当初から、プログラマーは、有機体ならば「心」を必要とするような作業を、コンピュータが実行できるようにするプログラムを開発することができた。
    簡単な例で言えば、かけ算がそうである。
    しかしコンピュータが心を用いてかけ算している訳でないのは明らかである。
    いつか、そうしたことができるようになったとしても、我々はそれを心と呼ぶだろうか?この問いは、人工知能の研究のおかげで、多くの哲学的議論の前線で行われている。
    人工知能(AI:artificial intelligence)の分野では、控えめな研究プログラムとより野心的な研究プログラムを区別するのが普通である。
    この区別はジョン・サール が強いAIと弱いAIという用語を用いて行ったものである。
    弱いAIの目的は、サールによれば、コンピュータが意識を持つことを試みるのではなく、ただ心的状態のシミュレーションに成功することである。
    強いAIの目的は、これとは逆に、人が持っているような意識をもつコンピュータを生み出すことである。
    強いAIの研究プログラムは、計算機理論のパイオニアの一人であるアラン・チューリングにまで遡る。
    「コンピュータは考えることができるか?」という問いへのひとつの答えとして、チューリングは有名なチューリング・テストを定式化した。
    チューリングの考えでは、一つの部屋にコンピュータが、となりの部屋に人間が入っていて、外からコンピュータと人間の両方に同じ質問をする。
    第3者がコンピュータと人間の両者を区別できない時には、コンピュータは「考える」のだといってよい。
    本質的に、チューリングの機械の知能についての考え方は、心の行動主義モデルを継承している。
    そこでは知性があるとは、知性が行うように振る舞うことなのだ。
    チューリング・テストは多くの批判を受けてきた。
    その中で最も有名なものはおそらく、サールによって定式化された 中国語の部屋 という思考実験 である。
    コンピュータやロボットが感覚質(クオリア)を持つことができるかどうかという問題は、いまだ手づかずのままである。
    人工知能の特殊性は「心身問題」を解くことに新たな貢献をすることができると信じるコンピューター科学者もいる。
    彼らは、すべてのコンピュータにおいて働いているソフトウェアとハードウェアの相互影響に基づいて、心と脳(ウェットウェア)の相互影響を理解するのに助けとなる理論がいつの日か発見されるだろうと言っている。
      

    心理学
    心理学
    心理学は、直接的に心的状態を研究する科学である。
    心理学は一般に、具体的な心的状態:たとえば喜びや恐れ、強迫といった状態について調べるのに経験的方法を用いる。
    心理学はこれらの心的状態が互いにどのように関係しているのか、また心的状態が人間の器官への入力や出力とどのように関係しているのかについての諸法則を調査研究する。
    上記のことを示す一例として、知覚の研究があげられる。
    知覚研究の分野で仕事をする科学者は、形態の知覚についての一般原理を発見してきた。
    形態の心理学の法則のひとつは、同じ方向に動かした対象は互いに関連しているように知覚されることを示す。
    この法則は、視覚的入力と心的な知覚状態との関係を描き出している。
    しかしこの法則は、知覚状態の「本質」なるものについては何も示してはいない。
    心理学によって発見された諸法則は、これまでに述べられた心身問題に対する解答のすべてと適合している。
     
    大陸哲学における心の哲学
    この項目のほとんどの議論は、現代の西洋哲学の中でいわゆる「分析哲学」(時には英米哲学といわれることもある)という有力な学派(スタイル)の業績にしぼって論じられている。
    しかし他にも、大きなくくりで「大陸哲学」とまとめられる思想の流れも存在する。
    ともかく、この呼び名の下にはさまざまな学派が総括されているが(現象学や実存主義なども含まれる)、これらは分析哲学とは異なった次のような傾向をもっている。
    分析哲学が言語分析や論理分析に焦点を合わせがちなことに対して、大陸哲学はより直接的に人間の実存や経験に焦点を合わせることが多い。
    特に心についての議論に関しても、分析哲学のように言語形式の分析に係わったりせず、思考と経験の概念を直接的に把握しようとする傾向が大陸哲学には強い。
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの『精神現象学』において、ヘーゲルは心(精神)の3つのタイプについて区別して議論している。
    まず「主観的精神」、これは一個人がもつ精神である。
    次に「客観的精神」、これは社会や国家がもつ精神をいう。
    最後に「絶対精神」、これはあらゆる概念の統一を意味する。
    ヘーゲルの『エンチクロペディ』にある「精神哲学」。
    現代における、ヘーゲル主義の伝統に呼応してあるいは対抗して発達してきた2つの学派が「現象学」と「実存主義」である。
    現象学は、エトムント・フッサールによってはじめられ、人間精神の内容に焦点をあて(ノエマを参照)、現象学的過程がいかにして我々の経験を形作るのかに焦点を合わせるものである。
    実存主義は、セーレン・キェルケゴールやフリードリヒ・ニーチェの著作に基づく思想であり、経験の内容と心がこうした経験をどのように取り扱うかに焦点を合わせるものである。
    あまり知られていないが重要な例として、心の哲学に取り組む哲学者であり認知科学者でもある、両方の伝統を統合しようとしたロン・マクラムロックがいる。
    ハーバート・サイモンの考えを借り、メルロー=ポンティやハイデガーの実存主義的現象学からも影響を受けて、マクラムロックは、世界内存在("Dasein", "In-der-welt-sein") である人間の条件からして、人はその存在から抽象したやり方や、彼自身をその一部として統合した経験的対象から切り離して分析する方法では、自分自身を理解することができないことを示す。
       

    心の哲学の帰結
    心の哲学の帰結
    数え切れないほど多くの主題が、心の哲学で発展してきた考えによって影響を受けている。
    わかりやすい例で言えば、死やその定義的性質の本質、感情の、知覚の、そして記憶の本質は何か、といった問題である。
    人が何ものであり、人の同一性は何によって保たれるのかといった問題についても、心の哲学は大いに関係がある。
    ここでは心の哲学に結びついたうちでも、とくに注意を注がれている2つの主題について述べよう。
    すなわち自由意志と自己の問題である。
     
    自由意志
    心の哲学の文脈において、自由意志の問題は新たな重要性を持つようになった。
    このことは、少なくとも唯物論的決定論者にとって重要である。
    決定論者の立場からすれば、自然法則は完全に物質的世界の行く末を決定する。
    心的状態は、そして「意志」についてもまた、なんらかの物質的状態であるだろう。
    このことが意味するのは、人間の行動や決定が完全に自然法則によって決定されるということである。
    この論法をもっと先に進める者もいる。
    すなわち、人々は自分自身では、何を欲し何をするか決定することができない。
    結局のところ、人々は自由ではない。
    一方で、両立主義者(compatibilists)は、上記の議論を拒否する。
    この立場をとる人々は次のように言う。
    「我々は自由か?」という問いは、我々が自由という語の意味を何にするか決定する場合にのみ答えることができる。
    自由であることの反対は「原因がある」ことではなく、「強制される」または「強要される」ということである。
    決定されていないというだけでは、自由であるというに十分ではない。
    自由な行為は、行為者がもし他のことを選んだとしたら、他の事をするのが可能だった場合にのみ、存在する。
    この意味で、人は決定論が真である場合でさえも自由であり得るのだ。
    哲学史上、最も重要な両立主義者はデイヴィッド・ヒュームである。
    今日、両立主義の立場は、たとえばダニエル・デネットによって擁護されているし、二元的パースペクティブの立場から擁護する人にマックス・ヴェルマンがいる。
    他方で、非両立主義者(incompatibilists)の中にも、自由意志を否定する議論を拒否する者たちが大勢いる。
    彼らは起因主義(originationism)と呼ばれるより強い立場で、意志の自由を信じている。
    これらの哲学者たちは世界の行方は自然法則によって完全には決定されないと主張する。
    少なくとも意志が決定される必然はない、それゆえに意志は潜在的に自由である。
    哲学史上、最も有力な非両立主義者はイマヌエル・カントである。
    非両立主義の立場に対する批判者は、非両立主義者が自由の概念を場合に応じて変えて用いていると批判している。
    批判者の主張は次のとおりである:すなわち、もし我々の意志が何かによって決定されないならば、我々はまったく偶然に自分が何を望むかを望むだろう。
    そして我々が望んだものが純粋に偶発的なものであるならば、我々は自由ではない。
    つまり、もし我々の意志が何かによって決定されないのならば,我々は自由ではないのだ。

    セフレ
    自己
    心の哲学はまた、自己の概念に重大な帰結をもたらす。
    これまで我々は「自己」「私」といった概念で本質的で不変的な人間の《核心部分》を指してきたが、最近になって心の哲学者たちは、自己のようなものは存在しないと断言している。
    普遍的で本質的な核心部分としての自己という考えは、デカルトの非物質的魂という考えから引き出されている。
    物理主義的な哲学者のスタンスと、ヒュームが行った自己という概念への懐疑が哲学者たちに広く受け入れられていることもあって、非物質的な魂といった考えは、最近の哲学者たちには受け入れられない。
    ヒュームは、彼自身が何か行うこと、考えること、感じることを捕まえることができなかったのである。
    しかし、発達心理学や発達生物学、神経科学から得られた経験的成果に照らしてみると、本質的でかつ非連続的で物質的な《核心部分》、すなわちシナプスの結合という変化するパターン上にばらまかれた統合的表象システムといったものは、妥当なものであると言えそうである。
     
    思考実験
    哲学的ゾンビ
    逆転クオリア
    マリーの部屋
    チューリングテスト
    中国語の部屋
    培養槽の中の脳
    スワンプマン
     
    研究者
    ジョン・サール 生物学的自然主義を唱え、意識の物質への因果的な還元は可能であるとしながらも、存在論的な還元は不可能であるとを主張する。
    ダニエル・デネット
    ポール・チャーチランド 消去主義的唯物論を唱え、素朴心理学の概念は、やがて神経科学の概念によって全て置き換えられるだろう、と主張する。
    デイヴィッド・チャーマーズ - 心の哲学者チャーマーズ(現在オーストラリア国立大学哲学教授)は、現代の物理学を拡張し、クオリアを一つの実体(英:entity)として扱うことの必要性を訴える。
    また意識のハードプロブレムの提唱者。
    チャーマーズ自身はハード・プロブレムは現代の物理学の範囲内では解決不可能だとしている。
    心身問題への解答、つまりチャーマーズ自身が言うところの精神物理法則のありかたは、機能主義的なアプローチによって解決されるはずだと主張している。
    信原幸弘氏 - 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 広域科学専攻 科学技術基礎論講座 助教授
    柴田正良氏 - 金沢大学大学院人間社会環境研究科・文学部 人間文化専攻 人間行動論コース 教授
    河野哲也氏 - 玉川大学 文学部 人間学科 助教授
    金杉武司氏 - 高千穂大学 人間科学部 准教授
    セフレbizという考えはありません。

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